写真集 ver.01

  いま、写真集を作っています。 なにか残るかと思い、放置気味だったブログに、写真集が出来ていく過程を書こうと思います。   ver.01は、ここに至るまでの経過、その1です。    2017年 冬。   「霧のあと」シリーズの写真集を出すため、出版社へのコンタクトを始める。 (「霧のあと」については、ホームページ参照 )   まず、写真集を出そうと思うまで、約10年、このシリーズを撮りためています。 すぐに出せる人、出したい人、十人十色ですが、自分はこのタイミングでした。 写真集を出すには様々なハードルがありますが、ここでは実体験のみを記述します。   いろんな場所で交換した出版関係の名刺を頼りに、メールや手紙をいくつか出しました。 反応は、ほぼ無かったです。 とある出版社には何度もコンタクトを取ったので一応返信がありましたが 以前に一度、挨拶をしている某方は、何かと理由をつけて編集へ取り次いでくれませんでした。   どこの世界でも、最初の印象で物事の半分が決まると思っています。 殊に実績のない(出版経験のない)写真家の作品を、まともに見てくれる人間は、世の中にどれだけ居るだろう。 さらに、見てくれたとしても、その人の好み(写真だけに限らず、撮り手自体の)もあり 返事があるだけでも、儲けもの。 向こうも人間、こっちに構ってる暇は無いと判断されれば、それっきりでしょう。   その後、何度もメールを送り、pdfを送り、期日を区切って、いつまでに連絡が欲しいです、と 一ヶ月に一度のペースで連絡を取りましたが 全く埒が明かず、時間だけが過ぎていきました。    2017年 夏。   この年、唯一の写真展が7月にありました。 ここで何もなければ、この先どうしようと鬱々していたので なかなか取り次いでくれない某方に諦めをつけて 同じ出版社の代表 info へ個展の案内と 来年、地元で美術展に参加するから、写真集を出したいよっ! みたいな内容のメールを送りました。   すると、急転直下 なかなか返事がもらえなかった出版社の 編集の方から見に行きますとメールがきました。 編集長さんも顔を出せたら出しますという文面に心が踊り これは、行けるんじゃないか、と、なんの根拠もなく 舞い上がっていたのを記憶しています。   ほとんど宣伝していなかった展示ですが 写真の仲間たち、八ヶ岳美術館の長田さん、諏訪市美術館の丸山さん 来てくれた全ての人に感謝してもしきれないくらい 自分でも満足できた、良い展示でした。 ただ、展示は展示です。自分はもう一歩前に進みたいと思い ひたすら写真集への途を模索していました。   写真展に併せてあちこちの出版社にメールやらDMやらを送りましたが 結果、出版社で来てくれたのは、返事を返してくれた編集さん一人だけでした。 暑い夏の日の午後、表参道の地下に飾られたA1の写真8枚を 彼女は、じっくりと見てくれました。 とても嬉しかったのをよく覚えています。   編集部に来て下さい。 次の扉が開かれた気がして、有頂天になっていました。 まだまだ自分も青いなあと、思った夏の日の夕暮れ。 本当に青かったと、後々思い知ることになります。     翌月 都内にある、出版社の事務所で顔合わせをしました。相手は先日の編集さんと編集長。 自分で作ったzineとダミーブック、バラの写真用紙を100枚ほど持参し 意気揚々と乗り込んでいきました。 他にも作品の背後関係にある資料(江戸時代の書物や昔の写真等)を用意 プレゼンの準備は万全でした。   編集長は、それをパラパラと捲り 一応、褒めてくれます。 内容は問題ないとのことでした。 ただ、自分の目には相手が喰いついていないようにも見えたのと どこか冷たく感じたその態度に 少し、嫌な予感がしていました。   出版に関して、作家は出したいと思う出版社、レーベルがあると思います。 出版社、レーベルも、この作家の本を出したいという思いがあると思います。 ある意味、恋愛と一緒です。 両思いならベストだが、大抵は片思いからスタート。 最初から上手くいくのは、どちらかが高スペック(なんらかの魅力的な意味)で 相手が許容できるか否か、だと思われます。   どれだけ自分に自身があっても、フラれる時はあるでしょう。 この時の自分は、振られはしないものの 条件付きで、はじめてみましょう。 という、先方のペースで話が進んでいく展開となりました。   作家の片思いで、出版社にコンタクトを取っている訳です。 そりゃ、思う通りの恋愛が出来るわけがない。 自分はモテる出版社に群がる一人の作家にすぎないと、強く自覚しました。   青かったなあ。あの日の空は。   次回に続く  2018.04.9 更新   前の記事へ             新しい記事