Yu-ki Abe Photography - Blog

 

2018.09.17 霧ヶ峰 幻の雪山リゾート後日談

   2ヶ所展示も無事に終了、来て頂いたすべての人に感謝。 写真集を買ってくれた人にはもっと感謝。 展示自体も高評価だった。   展示中、多くの人と話した中で気になる話がいくつか。   山の成り立ち。現代の霧ヶ峰という山が我々に認識されたのはいつの頃だろうか。 御射山祭りの記録をたどると、800年前には狩猟地として使われてはいたらしいが 本格的に開発が始まるのは昭和以降、つまりここ100年ぐらいの話らしい。   昭和7年の冬、日本海側では深刻な雪不足に見舞われてスキー場が開けないでいた。 当時のゲレンデは整備されたものではなく、山の斜面に雪が積もればそのまま滑走が出来たらしい。 これは日本の山々が江戸時代に森林伐採で禿げ山となり、一部の広葉樹林を除いて未だにその体たらくであったからであろう。現に今日の針葉樹林が本州に姿を表わすのは戦後の植林事業が始まって以降の話である。   スキー場が開けない雪不足の冬、新聞社の飛行機が信州上空を飛行中に大量の雪に覆われた広大な山の斜面を見つける。撮られた写真は新聞の一面を飾り、スクープとして大々的に報じられた。 この山こそが霧ヶ峰なのだが、ここからの行動が早い。数日もしないうちに東京から貴族院の議員や専門家が訪れ、この地にスノーリゾートを作る算段を練っている。地元の街をも巻き込んで数週の内には池のくるみにスキー場が開き、旅籠も次々と開いたと記録にある。   おそらくある程度の仕込みはあったのだろう。明治期に俳人たちが草木を掻き分けて入った霧ヶ峰は夏の姿である。広々とした草原を見れば冬の景色も何となく想像が出来る。昭和の時代は冬の山も人が行き来できるほどの距離に変わったということだろう。実際に上諏訪駅からバス道が作られるのもこの頃の話だ。霧ヶ峰におけるスノーリゾート、観光ブームの幕開けである。  この頃の写真がオークションを中心に数多く出回っている。 自分の写真集と古い写真を見比べると樹木の数は少なく稜線は広大、山一面がゲレンデと呼べるに相応しい姿を見せている。山火事で燃えた"池のくるみ"から"ガボチョ"にかけての斜面だ。 この場所にジャンプ台が築かれるのだが、いまは跡形もなく消えていて旅籠の井戸が残るのみだ。   なぜ巨大なスキー場は消えてしまったのだろう。   つづく   前の記事へ             新しい記事