Yu-ki Abe Photography - Blog

 

2019.11.15

いいね!〇〇

  毎日確認しているsns たまーには展示の情報ばかり載せているが 前は気軽に写真を載せていた気がする。 "いいね!"の数が気になりだした頃から物凄く煩わしくなってきた。         スマホを持たない自分がSNSを更新するのも一手間なのだけど どうしても世間の動向とか他人の動向が気になってしまうのが人の性なのか 気がつくとPCで開くfacebook コンタクトするでもないのに見る他人の情報、ため息、嫉妬、たまに押す "いいね!" これが毎日続くエンドレス、けど辞められない中毒性。   御苑で散歩をする古い友人に言わせれば facebookもツイッターもインスタグラムも 設計自体が人の欲望を満たすような作りになっているから止めれない、ということだ。 "いいね!"が貰えるたびに満足を得る仕組みは、動物が餌を得るために芸をするのと同じらしい。 自分への他人からの評価というのは生きていくために重要なものだ。 それを至極簡単に示してくれる "いいね!" に人は満足し依存する。 ときには他人の "いいね!" の数に嫉妬して。   結果として "いいね!" の数が魅力のバロメーター、マウントの取り合い もっといえば自分の人生を左右してしまうぐらい大事なものと勘違いしている昨今。 んなアホなことあるかいなと思っていた自分も毎日覗く始末。 落ち目と言われているfacebookに人生を捧げつつある "いいね!" 地獄。 自分もドップリとハマり、いまだにその中毒性から抜け出せないでいる。   自分への警鐘の意味を込めて書いているのだが facebookもツイッターも他人が発信している情報に過ぎず それに "いいね!" することが好意の表れでも親近感でもなんでもない。 応援してるよ!くらいの軽い意味合いだと理解すれば煩わしくもなんともないのだが いかんせん、他の "いいね!" 数が気になるような作りになっているもんだから数字を張り合ったり 他人が"いいね!"を押した物事を勝手に精査して 彼の思考は云々感運、あいつとあいつの仲はどうだこうだと勘繰れるシステム。 考えたやつは天才か。だから億万長者なのかと感心してしまう。   だから思う。 実際に会って(または電話などで)話す行為は とても大切なことなんだなと。   自分は人付き合いが苦手な方だとは思うけれど人と会っている時間はSNSの中毒性も薄れて 人間本来の生き方が出来ているような気がする。   それでも止められない自分のSNS地獄、"いいね!" 中毒シンドローム すでに人間の思考回路はAIに支配されてるのかな、などと考えてしまう。   前の記事へ             新しい記事
  

Abeの日記帳

30代 写真家 紀行、写真、自転車、甘味の話    Buck Number   2019.12.05   冬でない 2019.11.15   いいね!〇〇 2019.10.27   2019年の活動