2020.10.22Columbia Worksop Ⅱ
サイクルショップで見つけたクロモリフレームには
Worksop Columbia England とロゴ記されていた。
Columbia Cycle
と、調べども、調べども
出てくるのはアウトドアメーカーのColumbia、もしくは中南米の国コロンビアだった。
たしかにコロンビアはツール強豪国だが、今回は関係が薄そうだ。
その後も何件かヒットしたが、どれもアメリカの自転車ばかりだった。
1920年代の自転車から、現代のクルーザータイプまで。。。
Columbiaの名を冠した自転車は、じつに様々な時代にあるらしい。
画像検索を掛けたところ、それらしい写真が出てきた。冒頭の白い自転車フレームには、確かにColumbiaの文字とユニオンジャック。そして使われているラグが、先日購入したフレームと同じ形だった。
1981年
英国の自転車メーカー ラレー(RALEIGH) は
ノッティンガムシャーのワークソップにある自社の工場を閉鎖することに。
ここは、かつてラレーが買収したメーカー カールトン(Carlton)の工場だった。
高級スポーツ車を専門に製作していたカールトンの技術力は高く
個人開業しているフレームビルダーにも劣らない凄腕の職人を抱えていた。
彼らは親会社(RALEIGH)が数年前から計画していた工場閉鎖に当初は賛成だった。
アメリカの自転車ブームに陰りが見えはじめ
サンジェやエルスといったハンドメイドのフランス車が時代遅れと言われ
古く凝った自転車が売れなくなってきた1980年代。
自転車業界は斜陽、冬の時代を迎えていた。
世界のメーカーが新素材のアルミやカーボンへの転換を図る中で
現場の職人たちもカールトンブランドの終焉は止むを得ないと思っていた。
しかし、工場閉鎖後の異動や給与などの条件面が会社側と折り合わず
工場閉鎖後にRALEIGHに残った職人は、ほとんどいなかったという。 解雇された職人たちは自転車製造の熟練工たち。『だったら俺たちで自転車を作ってやろう!」閉鎖された工場の跡地を利用して、彼らは自転車を作りはじめた。
クロモリ、マンモリといった古い素材を使ったOne off に近い生産方式
それは熟練工たちによる手作業、Craftsman build の自転車だった。
(colunbia worksop についての記述 retrobike.co.uk より抜粋) 購入したフレームの番号は 850498 番。
おそらく意味は1985年の85と、498番目の車体番号だろう。
年間500台の製造だとしても数少ない。1981年から数えて498番目ならば年間100台前後の製造数。希少である。
冒頭の白い自転車も購入した車体と同じツーリングモデルのようだが
後ろのエンドダボの数とフォーククラウンの形が違う。
白い自転車はキャリパーブレーキ仕様
購入した自転車は台座付きのカンチブレーキ仕様だ。
もしかするとオーダーフレームかも知れない。
カールトンとラレーが喧嘩別れに終わった話も興味深い。
東洋の国で売られている現代のラレーには、カールトンの名を冠したロードモデルがある。
売っている方も全ての経緯を知った上でとは思う。
しかし名前の由来こそ盛んに宣伝されども
カールトンのビルダーたちの結末を語らないのは
なんとも歯切れが悪い。
かつて米国のSCHWINN シュウィンというメーカーも同じようなことを行い
自社の職人たちを切って中国に製造拠点を移した。
部品やバッグは日本でも製造をしていたシュウインだが
いまは売られている自転車は中国製の量産車ばかり。
詳しくは 王様のためのホログラム という映画で描かれている。
日本には競輪があるため数多くのビルダー工房があり
クロモリ自転車に溢れている。
それでも売れるのはママチャリとカーボンの渡来品がほとんどで
クロモリフレームは懐古主義と言われがち。
そりゃメーカーは新品をたくさん売って儲けたいよね。
買い替えのサイクルはカーボンのほうが早いんだから。
数年に一度買い換えさせるのが自転車操業的マーケティングだが
クロモリフレームの寿命は半世紀以上。カーボンフレームよりタフでヘタらないし、他人と被ることも少ない。
古い自転車ブーム、この国には来ないだろうけど
これだけクロモリが溢れているんだから、下地はありそうだ。
ColumbiaのフレームはCarltonのLASTモデル!そうに違いはないのだけど、どれだけ価値があるかは分からない。
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