Yu-ki Abe Blog
 
 
 
 

2022年2月26日土曜日

ウクライナの田舎町

ロシアがウクライナに全面侵攻してから3日が経過した。

3日間ネットを通して情報を得ているが出所不明な流言飛語も多く真偽は明らかではない。
現代の戦争は
リアルタイムに情報も溢れかえっているがフェイクニュースも数知れずだ。

そんなとき頼りになるのがライブカメラの映像だと思う。

意図的に時間をズラした映像を流すのも可能だろうが、そこまでするなら映像を切断してしまったほうが早い。そういった意味に於いてライブカメラの映像は一定の信用性がある。(あえてその画角に切り取っているので発信側の意図はある程度介在はするのだが)

ウクライナの首都キエフを映すライブカメラのサイトには戦争開始以来、常に1万人以上の来訪者が存在する。


そんな中、とある片田舎のライブカメラから私は目が離せないでいる。

この街のライブカメラはさして変わらない田舎町の日常を私達に届けている(ように私の目には見える)。住んでいる人間の生活を窺い知ることも十分に可能なのだ。この3日間すっかりこの田舎町に釘付けで、時間があるときに眺めるのが最近のルーティーンになりつつある。






家族連れだろうか。

手前に子供、様子を伺う父親の姿。その後ろに母親と祖母の姿。

どこにでもあるごく日常の景色である。赤く光っているのはラジコンで家族で広場にやってきて子供が遊び、大人たちがその様子を眺めている。

リアルタイムの映像で見ていたのでこの家族がいかに楽しげであったか私には伝わっているのだが、驚くべきはここが開戦3日後のウクライナ・ロシア国境沿いの街だということだ。

ここからは完全に私の想像だが

おそらくこの街はあまりに田舎で軍事的に放置しても大丈夫と双方に判断され軍が駐屯していないか、あるいはロシア系住民が多く暮らす街で真っ先に占領されて安全が確保されているかの、どちらかではないだろうかと思える。


言うまでもなく戦争は悪である。

現代においてその意味合いは殊更であり、戦争を防ぐための抑止力として各国は軍備を整えるというのが軍拡競争の大義名分になっている。

だが一方の国が現状変更を武力によって叶えようとするとき、相手国がそれを良しとしなければ戦争になるのが歴史の常である。少なくとも第二次世界大戦はナチス・ドイツの武力による現状変更を欧州各国が認められなくなって起きた戦争であり、それ以来70年以上大規模な地上戦は欧州では起こってこなかった。

しかしウクライナ戦争は起こった。

経緯、規模を考えても第二次世界大戦以来の大きな戦である。米国が介入すれば世界大戦になるからウクライナに派兵しないと言うくらい危機的状況である。プーチンはヒトラー並にヤバい奴、独裁者であると私は信じて疑わないし、それが西側やアメリカのプロパガンダに染まった平均的日本人中年の脳みそが弾き出した答えだったとしても何ら恥じてはいない。


話を戻すが、この映像に釘付けになったのは戦時下の東欧ウクライナで夜間に子供連れが外出して遊んでいるという現実を目にしたからに他ならない。ここに映っているのはプロパガンダでもなく、フェイクでもなく、ただただ田舎町に暮らす普通の家族が過ごしている 日常、である。

この日常を破壊するものが戦争であり、ロシアが現在進行系で行う武力による現状変更に他ならない。


ウクライナ国内の情勢悪化に伴いリアルタイム映像を流すカメラが減ってきた。首都キエフは灯火管制で夜の闇夜が映し出され、ロシア軍が侵攻している地域はライブ映像が切られ、数日前に見られた景色が今は見ることが出来ないでいる。


この家族は決して特別な存在ではない。どこにでもいる普通の家族だろう。普通が普通で無くなるとき、故郷を奪われ外で自由に遊ぶことも出来なくなるとき、この子供は果たしてどんな顔をするのだろう。

いま、ウクライナで起きていることは普通の日常が普通で無くなるときだ。ウクライナだけに限らず、世界中のどこで起こってもおかしくない話が70年の時を経て私達に襲いかかろうとしている。


私に出来ることはせいぜい自分のホームページ上で叫ぶことくらいだが、そうでもしないと気が収まらないでいる。

少なくとも、この街はまだ普通の日常が維持されているように思える。ライブカメラの映像が途絶えたとき、私はさらに沈痛な気持ちを抱くであろう。


西側が全て正しいとも思わないし、ましてやアメリカという国が世界の正義などと微塵も考えたことはないが、現時点でロシアの指導者が世界の日常を壊そうとしてるのだけは分かっているつもりである。

願わくばロシアで政変なり何かが起こり、戦が一日も早く収まり多くの家族の普通の日常が壊されないことを切に願う。